感極まったおじさんが精一杯やれること のと☆えれき『葉桜とセレナーデ』

哀しきおじさんたちへの賛歌だ。

コロナ禍、産婦人科の駐車場にもうけられた野ざらしの待合室で、おじさんたちふたりがわちゃわちゃする。

十メートル先ではいままさに妊婦さんが赤ちゃんを産もうと奮闘している。あらたな生命の誕生をめぐる崇高な物語と思いきや、じつのところその崇高な奮闘にかかわれない、カヤの外に置いてきぼりにされた男たちの悲哀の物語なのだ。

通常の出産においても、せいぜい「立ち会い」でしかかかわれないのに、本作の舞台はコロナまっただなか。病院への立ち入りは厳重に管理され、桜散る駐車場、パイプ椅子がならぶ一角におじさんたちは放置される。

無力。あまりにも無力。せいぜい「あったかいほうじ茶」をリクエストされおつかいに行く程度の貢献しかできないのだ(近くのコンビニに車で買いに行き[おじさんは歩かない]、がんばってる感を出すのも哀しみを誘う)。

さてそんな無力なおじさんふたりがいったい何者なのか、というのは本編でしだいに明かされていくので、そのおもしろさを味わいたい人はこの「ゲキカン!」を読むのをやめてさっさと劇場に行くことをオススメする。

おもしろさは保証する。笑い満載で、哀しさが胸にチクリときて(おじさんは特に)、とぼけた味わいもたまらなく、人間味にあふれ、豊かな詩情にあふれたすばらしい舞台だ。

ではここからはすこし、前半の展開もふくめて書く。

おじさんのうちのひとりは、出産をひかえ入院している女性の、バイト先の店長だ(能登英輔)。もうひとりは正体を隠し警察と名乗る謎のおじさんだ(小林エレキ)。ふたりめのおじさんの正体は、女性の実の父親だ(序盤で明かされる)。

基本的にはおじさんのふたり芝居なのだけど、出産間近の女性、病院の受付、そして子どもの父親という第三の人物たちも見えないが存在感があり、物語に豊かな輪郭を与える。

ただし病院の受付(ナガムツ/劇団Coyote、吟ムツの会。福地美乃/yhsとのWキャスト)は後半に一度だけ姿を見せる。そこでのおじさんの悲哀を歌いあげる語りは絶品で、演者・ナガムツのキュートなキャラクターとあいまって、なにかおじさんたちを見守る天使のようにも見えた。

この場面は本作の白眉で、コロナ禍や出産にまつわるリアリティーある設定の中で、幻想味を帯びたこの世ならぬ雰囲気もあって、脚本・ごまのはえ(ニットキャップシアター)、演出・横尾寛の力を感じた。

おじさんたちの哀しさは、生命誕生の瞬間にかかわれないという疎外感だけじゃない。父親になりきれない未熟さもある。

小林エレキ演じるおじさんは、実の娘の出産にやってくるのだが、親子の関係は破綻している。親子の悲しきコミュニケーションはこの舞台のタイトルにある「セレナーデ」と呼応している(とアフタートークで作者・ごまのはえが言っていた)。

人が親になるとはどういうことなのか、どうしたら父親になれるのか。その過程を描く本作は、直前まで演劇シーズンで公演していた『わだちを踏むように』と対比してみるとおもしろい。『わだち~』が「そして母になる」物語だと「ゲキカン!」に書いたが、本作は「そして父になる」物語と言っていい。『わだち~』を観た人はぜひ『葉桜のセレナーデ』も観てほしい。

『わだち~』でも、あたらしく父親となる男の無力さが描かれていたが、本作の無力さは際立っている。先述の「ほうじ茶」おつかいだけでなく、終盤で描かれる、感極まったおじさんが精一杯やれることは結局買い物しかないという事実は哀しくもおかしい。

さらにもうひとつだけ、彼らにできることがある。ひたすらな応援だ。彼らは病院の外から妊婦を応援し、道路向こうのグラウンドで野球をする子どもたちを応援する。プレイヤーでない人間が隔てられた場所から唯一できる行為、応援。

しかし応援という無形のものが人の心に届くとき、その人の中ではたしかなものとして実体化するのかもしれない。愛とか勇気とかそういうものとして(アンパンマンの歌詞みたいだけど)。

おじさんふたりは応援する。子どもを産む女性、生まれてくる子ども、少年野球の子どもたち、そして逃げつづける父親にも(なぜ逃げる父親も応援するのかは、男には思い当たる節があるだろう。そういう男の本心すら描くのだ本作は)。

だけど、他者に向けられた応援は結局、自分自身への応援であるかもしれない。しがないふたり、人生も半ばをむかえ、花が散っていった自分たちへのエール。

人を応援し、だれかのしあわせをのぞむことで、枯れはじめた自分をすこしだけ元気にさせる。もしかしたら自分も、もうすこしがんばれるかもしれない。

のと☆えれき『葉桜とセレナーデ』。おじさん賛歌だ。

がんばれおじさん。おじさんがんばれ。

でもそんなにがんばれない。それがおじさんなのだ。

 

公演場所:シアターZOO

公演期間:2024年8月24日

初出:札幌演劇シーズン2024「ゲキカン!」

 

〈おまけ。以下はX(旧Twitter)に書いた文章です(一部加筆修正)〉

のと☆えれき『葉桜とセレナーデ』まだ29、30日の席あるって聞いて驚いた。

まじで!? 現代演劇を代表する、ごまのはえ氏の脚本で、札幌の人気俳優ふたり(+1名)の笑いと切なさあふれる演技はベストアクトでしょう。演出も見事だし、このクオリティのお芝居がいま札幌で観られる幸福を逃すのはもったいない。

僕は初日に観て4日たつけど、いまでも笑いがこみあげてくるからね。客席で爆笑した数時間後、家で布団に入ってクスクスじわじわしながら寝る楽しさ。何日たっても頭から離れない珠玉の名シーンの数々。相撲の場面でなぜか受付の赤ランプも一緒に光っててなんでだよ(笑)ってそういう持続性のある幸福感が得られる。

あといまさら、1本の木の下でふたりの男が待ちつづける話って『ゴドーを待ちながら』だったんだ! って気がついて、発見が無限にあるいい脚本だなあと思ったり。 とにかく、斎藤歩さんが今期演劇シーズン9本のうちなぜこれをラストにしたのか、そこには明確な意図があると思う。

それは観てもらって感じてもらうしかないんだけど、あえて言うなら、このお芝居には札幌の未来がある、ってことなんじゃないかな。内容はもちろんそう。現在と未来の話だ。それにこの座組が、これからの札幌演劇界を背負って立つっていうメッセージなのかもしれない。その気持ちがわかったとき、僕はこの作品がさらに好きになった。

なんだか「ゲキカン!」もう1本ぶん書いちゃった感じだけど、書かずにはいられない舞台だったのです。あと3日。29、30日は当日そのまま行っても大丈夫。おもしろいものが観たい!その思いにこたえる最高の舞台です。(2024年8月24日)

text by 島崎町

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